「満たされない感覚」の正体 禅と実存主義から学ぶ心の整え方
「満たされない感覚」の正体 禅と実存主義から学ぶ心の整え方
日々の仕事や生活は滞りなく進んでいる。周囲から見れば恵まれている方かもしれない。それなのに、なぜか心にぽっかりと穴が開いたような感覚があったり、漠然とした不足感に苛まれたりすることはないでしょうか。この「満たされない感覚」は、現代社会に生きる私たちが共通して抱えがちな心の状態と言えるかもしれません。
忙しい毎日の中で、立ち止まってこの感覚の正体を見つめ、どう向き合えば良いのか考える時間を持つことは難しいものです。難解に思える哲学が、こうした私たちの心の悩みに対し、どのような光を当ててくれるのでしょうか。この記事では、東洋の「禅」と西洋の「実存主義」という二つの思想から、この「満たされない感覚」を読み解き、心の整え方を探るヒントをご紹介します。
現代社会の「満たされない感覚」はどこから来るのか
情報過多、常に他者との比較が促されるSNS、成果や効率が重視される環境。私たちはこうした社会の中で、「もっと」「もっと」と駆り立てられがちです。理想の自分、理想の生活、理想のキャリア。これらのイメージは際限なく更新され、たとえ現状がどれだけ恵まれていても、「まだ足りない」「何か違う」と感じてしまうことがあります。
また、日々のルーティンワークに追われる中で、自分が何のために働いているのか、人生にどんな意味があるのか、といった根源的な問いに向き合う機会が失われ、それが漠然とした空虚感や不足感となって現れることもあります。
この「満たされない感覚」は、単なる個人的な悩みではなく、現代社会の構造や価値観と深く結びついていると言えるでしょう。しかし、だからといって諦めるのではなく、この感覚をどう捉え、どう向き合うかが、心を整え、より良く生きていくための鍵となります。
禅の視点:不足感からの解放
禅は、「いま、ここ」に徹底的に集中することを重視する思想です。過去への後悔や未来への不安、そして「ないもの」への執着を手放し、目の前の現実をありのままに受け入れることを説きます。
禅の教えによれば、「満たされない感覚」は、私たちが「いま、ここにあるもの」ではなく、「いま、ここにないもの」や「あるべきだと信じている理想」に意識を奪われていることから生じます。例えば、仕事で一定の成果を出しても、「もっと評価されたい」「同期はもっと昇進している」といった比較や期待に囚われると、せっかくの成果も色褪せ、「足りない」と感じてしまいます。
禅は、この「足りない」という感覚そのものを否定せず、ただ「あ、いま自分は満たされないと感じているな」と気づき、それを受け入れることから始めます。そして、「いま、ここ」にあるもの、例えば目の前の作業、呼吸、体感覚などに意識を戻すことを促します。これは「足るを知る」という考え方にも通じます。いま持っているもの、いま経験していることの中に豊かさを見出す視点です。
不足感を完全に消し去ることは難しいかもしれませんが、禅の考え方を取り入れることで、不足感に過剰に囚われず、心を落ち着けることができるようになります。
- 実践的なヒント:
- マインドフルネス: 呼吸や五感に意識を集中し、「いま、ここ」に留まる練習を daily に取り入れる。
- 日々の作業への集中: 食事をする、通勤電車に乗る、資料を作成するなど、一つ一つの行為に意識を向け、「ながら作業」を減らす。
- 感謝の習慣: 日常の中で当たり前だと思っていること(健康、人間関係、仕事ができる環境など)に意識的に感謝する時間を持つ。
実存主義の視点:不足感を力に変える
一方、西洋の実存主義は、人間の「自由」と「責任」、そして自ら存在に意味を与えることの重要性を強調する思想です。実存主義は、人間はあらかじめ定められた本質を持たず、「実存は本質に先立つ」¹、つまり「まず存在し、それから自分自身を創造していく」と考えます。
この視点から見ると、「満たされない感覚」は、必ずしもネガティブなものではありません。それは、より良い自分でありたい、自分の可能性を実現したい、人生に自分なりの意味を見出したい、という根源的な欲求の表れであると捉えることができます。
サルトルは、人間は常に「自己自身でないもの(将来の可能性)」へと向かう存在であるとし、「常に自己自身と異なるもの」²である人間の存在様態を説きました。この「自己自身と異なるもの」を目指す過程で、私たちは自身の「なさ(不足)」を意識します。しかし、この「なさ」こそが、私たちが自由に選択し、行動し、自己を創造していくための原動力となるのです。
満たされない感覚は、現状に安住せず、変化や成長を求める心の声だと解釈できます。実存主義は、この声から目を背けるのではなく、自己の不足や不完全さを直視し、その上で自らが何を求め、どう生きていくのかを主体的に選択し、行動していくことの重要性を説きます。
- 実践的なヒント:
- 自己分析: なぜ満たされないのか、その不足感は何を求めているのか、自分自身に問いかけ、内面を深く探る時間を持つ。
- 価値観の明確化: 他者の評価や社会の期待に流されず、自分が何を大切にしたいのか、どんな人生を送りたいのか、自分の価値観を明確にする。
- 主体的な選択と行動: 小さなことからでも良いので、自分の意志に基づいた選択を行い、目標に向かって具体的な行動を始める。
禅と実存主義の統合:不足感とのしなやかな付き合い方
禅は「受容」、実存主義は「創造」という異なるアプローチを示しますが、どちらも「いま、ここにある自分自身」から出発し、内面と向き合うことの重要性を説いています。
「満たされない感覚」に襲われたとき、私たちはまず禅のように、その感覚を否定せず「いま、自分は満たされないと感じているな」と受け止めることから始められます。抗うのではなく、一旦立ち止まり、その感覚を観察します。
そして、次に実存主義のように、この不足感が何を訴えかけているのか、どんな可能性を求めているのかを探求します。この感覚を自己創造のエネルギーとして、「では、自分は何を選択し、どう行動するのか」と主体的に問いを立て、行動へと繋げていくのです。
不足感を完全に消し去ろうとするのではなく、禅の考え方でその都度心の波を落ち着かせつつ、実存主義の考え方でそれを自己成長の糧とする。このように、両者の視点をバランス良く取り入れることが、「満たされない感覚」としなやかに付き合い、人生をより豊かにするための心の整え方と言えるでしょう。
「満たされない感覚」は、不快なものかもしれませんが、それは私たちがより良く生きたいと願っている証でもあります。この感覚を単なる悩みとして片付けるのではなく、自分自身を深く知り、人生を主体的に創造していくための貴重なきっかけとして捉え直してみてはいかがでしょうか。禅と実存主義の知恵は、その旅の心強い羅針盤となってくれるはずです。
¹:ジャン=ポール・サルトル『実存主義はヒューマニズムか』より ²:ジャン=ポール・サルトル『存在と無』より