不確実な未来への向き合い方 禅と実存主義の視点
不確実な時代に感じる漠然とした不安
現代社会は、技術の急速な進歩、経済状況の変化、社会構造の多様化などにより、かつてないほど未来が不確実であると感じられるようになりました。明日何が起こるか分からない、自分のキャリアや人生設計がこの先どうなるか見通せない、といった漠然とした不安を抱えている方も少なくないでしょう。
特に、日々の業務に追われながらも、心のどこかで満たされなさを感じたり、将来への不安にかられたりすることは、多忙な現代社会で生きる私たちにとって共通の課題かもしれません。このような不確実性の中で、どのように心の平穏を保ち、前向きに生きていくことができるのでしょうか。
本記事では、東洋の思想である「禅」と、西洋の思想である「実存主義」という二つの異なる哲学の視点から、この不確実な未来への向き合い方を探求します。難解に思われがちなこれらの思想が、現代の私たちの不安にどう応え、実生活にどのような示唆を与えてくれるのかを見ていきましょう。
実存主義:不確実性の中の自由と責任
まず、実存主義から不確実性というテーマを見てみましょう。実存主義は、「実存は本質に先立つ」という思想を核とします。これは、人間のあり方(実存)は、あらかじめ定められた性質や目的(本質)によって決まるのではなく、自らの選択と行動によって後から決まっていく、と考えるものです。
この思想は、私たちの人生や未来があらかじめ決められたものではない、つまり「不確実である」という事実を肯定的に捉える側面を持ちます。未来は固定されたものではなく、常に流動的で、私たちの自由な選択によって創り出されていくものなのです。
しかし、この自由は同時に大きな責任を伴います。未来が不確実で、何者になるかも自らの選択次第であるということは、裏を返せば、私たちは常に選択を迫られ、その結果に対する責任を引き受けなければならないということです。ここに、実存主義における「不安」(アングスト)が生じます。この不安は、単なる恐れではなく、自らが自由であり、何にでもなりうる可能性に直面したときに感じる根源的な感情とされます。
実存主義は、この不確実性から目を背けるのではなく、むしろ直視し、その中での自身の自由と責任を自覚することの重要性を説きます。未来の不確かさは、私たちに主体的な生き方を選択する機会を与えていると考えることができるのです。
禅:無常を受け入れ、「いま」に集中する
一方、禅の思想は、不確実性を「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という仏教の根本的な教えとして捉えます。すべてのものは絶えず変化しており、固定された不変なものは存在しない、という考え方です。私たちの人生もまた、この無常の理の中にあり、常に移り変わっていくものです。
禅は、この避けがたい変化や不確かさに対して、抵抗したり、過去や未来に執着したりするのではなく、それを自然なこととして受け入れることを重視します。未来を過度に心配したり、過去の出来事を悔やんだりすることは、現実の「いま、ここ」から心を離れさせ、苦悩を生む原因となると考えます。
禅の修行、特に坐禅は、「いま、ここ」という瞬間に意識を集中することを促します。五感を研ぎ澄まし、思考や感情が浮かんできても、それに囚われずにありのままに観察します。この実践を通じて、私たちは未来への不安や過去への後悔といった、実体のない思考に振り回されるのではなく、常に変化し続ける現実の「いま」にしっかりと根を下ろすことができるようになります。
不確実な未来に対する不安は、「未来はこうあるべきだ」「こうならなかったら困る」といった、未来に対する固定的な期待や予測から生まれることが少なくありません。禅は、そのような未来への囚われを手放し、目の前の瞬間に全力を尽くすことの重要性を教えてくれます。未来は「いま」の積み重ねによって創られていく、という視点です。
東西の知恵:不確実性への「受容」と「創造」
禅と実存主義は、それぞれ異なる文化的背景を持つ思想ですが、不確実な未来に対するアプローチにおいて、興味深い共通点と補完関係を見出すことができます。
共通点としては、どちらも未来が固定されたものではないという認識を持っている点が挙げられます。禅は無常として変化を自然なものと捉え、実存主義は未来が自らの選択によって創られるものと考えます。また、どちらも過去や外部の権威に依存するのではなく、現在の自己のあり方や主体性(禅における「自灯明」の思想や、「いま」への集中、実存主義における自由と責任)を重視します。
補完関係としては、禅が「不確実な変化を受け入れること(受容)」に重きを置くのに対し、実存主義は「不確実性の中で自ら未来を創り出すこと(創造)」に焦点を当てる点が挙げられます。
現代社会で不確実性による不安に対処するためには、この二つの視点を組み合わせることが有効かもしれません。
- 禅の視点:変化を受け入れる
- 未来は不確実であり、計画通りに進まないのは自然なことだと理解する。
- コントロールできないことについて、過度に心配するのではなく、手放す練習をする。
- 過去の失敗や未来の不安に心を奪われず、「いま、ここ」の状況に意識を集中し、目の前のことに丁寧に取り組む。
- 実存主義の視点:不確実性の中で選択し創造する
- 不確実な状況を、自身の可能性を広げ、新たな道を切り開く機会と捉える。
- 不安を感じることは、自らが自由に選択し、責任を引き受ける主体である証拠だと理解する。
- 未来は待っているものではなく、自らの意思と行動によって創造していくものだと認識し、能動的に関わる。
実践的なヒント:不確実な未来をしなやかに生きるために
禅と実存主義の知恵を踏まえると、不確実な未来への向き合い方として、いくつかの具体的な考え方や行動が考えられます。
- 「いま」に意識を向ける習慣をつける:
- 食事、通勤、仕事中など、普段の生活の中で意識的に「いま、ここ」に集中する時間を作ります。呼吸に注意を向けたり、五感で感じられるものに意識を向けたりすることで、思考の堂々巡りから離れることができます。
- コントロールできることとできないことを区別する:
- 未来の結果や他人の評価など、自分では直接コントロールできないことへの執着を手放します。その代わりに、自分の行動や努力、学びといった、コントロールできることに集中します。
- 変化を避けがたいものとして受け入れる:
- 計画通りにいかないことや予期せぬ出来事を、ネガティブなものとしてではなく、自然な流れの一部として受け入れる心の準備をします。「無常であること」を前提として生きることで、変化に対する抵抗感が減り、しなやかさが増します。
- 不確実性の中での小さな選択を意識する:
- 大きな未来の計画だけでなく、日々の小さな選択に意識を向けます。自分が何を考え、何を選び、どう行動するか。その一つ一つの選択が、不確実な未来を創る主体的な営みであることを意識します。
- 不安を「行動のサイン」と捉える:
- 実存主義の視点から、不安を「未来を自分で創る自由がある」というサインだと捉え直すことができます。不安を感じたとき、それは立ち止まるのではなく、「この状況で自分は何を選択し、どう行動するか?」と自問し、前に進むきっかけとすることができます。
まとめ
不確実な未来に対する不安は、現代社会を生きる上で避けがたい感情かもしれません。しかし、東洋の禅が説く「無常の受容」と「いまへの集中」、そして西洋の実存主義が示す「不確実性の中での自由と創造」という二つの哲学的な視点を持つことで、その不安に新たな角度から向き合うことができます。
未来は確かに不確実です。しかし、それは同時に、固定された運命ではなく、私たちの「いま、ここ」での主体的な選択と行動によって、いくらでも可能性が開かれているということでもあります。禅のしなやかさと、実存主義の力強さを併せ持ち、不確実な時代をしなやかに、そして力強く生きていくためのヒントを、これらの哲学から見出していただければ幸いです。