過去への後悔、未来への不安 禅と実存主義が示す「いま」を生きる道
現代社会に生きる私たちは、常に時間に追われ、様々な情報に囲まれています。ふとした瞬間に過去の失敗を悔やんだり、まだ見ぬ未来に漠然とした不安を感じたりすることもあるのではないでしょうか。こうした過去や未来への囚われは、私たちの「いま」を生きる力を奪い、心の平穏を揺るがす原因となり得ます。
しかし、古今東西の哲学は、この「時間への囚われ」という普遍的な人間の課題に対して、様々な視点から向き合うヒントを与えてくれます。今回は、東洋の禅と西洋の実存主義という二つの思想が、「いま」を生きることにどのような示唆を与えてくれるのかを探ります。難解に思えるかもしれませんが、日々の生活に役立つ考え方がきっと見つかるはずです。
過去と未来に囚われる心の構造
私たちはなぜ、過去や未来に心を奪われてしまうのでしょうか。過去の出来事は変えられず、未来は不確かであるにも関わらず、それらについて考え続けることに多くのエネルギーを費やしてしまいます。
過去への後悔は、あの時こうしていれば、というifの思考を生み出し、現状への不満や自己否定につながることがあります。未来への不安は、起こるかどうかも分からない出来事を恐れ、行動をためらわせたり、漠然とした焦りを感じさせたりします。どちらも、「いま、ここ」にある現実から私たちの意識を遠ざけてしまうという共通点を持っています。
特に現代社会では、変化が速く、将来の見通しが立てにくい状況です。また、過去のデータ分析や未来予測が重視される文化の中で、意識が自然と過去や未来に向かいやすくなっているとも言えるでしょう。
禅が示す「いま、ここ」への集中
東洋の思想である禅は、この時間への囚われから私たちを解放し、「いま、ここ」に意識を向けることの重要性を説きます。禅の実践である座禅や日々の行いは、まさに五感を通して目の前の現実に集中するためのものです。
禅において、過去は既に過ぎ去ったものであり、未来はまだ来ていないものです。真に存在するのは「いま」だけであると考えます。「いま」この瞬間に全力を尽くし、目の前のことに没頭することで、過去の後悔や未来への不安といった雑念は静まります。これは、近年のマインドフルネスの実践とも共通する考え方です。
禅はまた、「あるがまま」を受け入れることを教えます。過去の出来事や未来への不確かさも、抗うのではなく、一つの現実として受け入れる視点を持つことで、心が静まります。コントロールできないものに執着するのではなく、「いま」自分が向き合えること、行動できることに意識を集中すること。これが禅が提案する「いま」の生き方です。
日々の生活で実践するならば、食事をする際に味や香りに意識を向けたり、通勤中に周囲の音や景色に注意を払ったりするなど、些細なことから「いま、ここ」に意識を集中する練習ができます。
実存主義から見る過去・未来・そして「いま」の選択
一方、西洋の実存主義は、人間を「未来へと自らを投企する(投げかける)」存在として捉えます。実存主義において、人間にはあらかじめ定められた本質や目的はなく、常に未来に向けて自由な選択を行い、その選択を通して自らの存在を形成していくと考えます。
この思想では、過去は既に確定した事実ですが、その過去に対する「意味づけ」や「乗り越え方」は「いま」の私たちの自由な選択にかかっていると見ます。過去の失敗や後悔も、それをどう捉え、今後の人生にどう活かすかという「いま」の決断によって、その意味合いが変わるのです。
また、未来は不確かであり、それゆえに不安を伴いますが、その不確かさの中にこそ、自由な自己創造の可能性があると考えます。未来への不安は、自らが選択し、責任を負うことから生じる根源的な感情でもあります。実存主義は、この不安から目を背けるのではなく、それを受け止めつつ、自らの意志で未来を切り開くための「いま」の選択を迫ります。
実存主義が示すのは、「いま」この瞬間の選択と責任の重みです。私たちは過去の出来事や他者の期待、社会の常識といったものに縛られがちですが、そこから自由になり、「いま」、自分自身の内なる声に耳を傾け、何を為すか、どう生きるかを選択することを強く求めます。そして、その選択の責任を引き受けることが、自らの人生を生きるということなのです。
禅と実存主義:「いま」を生きるための二つのアプローチ
禅が「いま、ここ」にある現実を静かに受け入れ、集中することを教えるのに対し、実存主義は「いま」を未来への出発点、自由な選択の瞬間として捉え、行動することを促します。
一見すると対照的なようですが、これら二つの思想は、「いま」を生きる上で互いに補完し合うと考えられます。
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禅の視点:心の平穏を取り戻す 過去の後悔や未来への不安で心が騒がしい時、まずは禅の教えに倣い、「いま、ここ」に意識を向け、感情や思考を静かに観察し、受け入れることから始められます。目の前の作業に集中する、呼吸に意識を向けるといった実践は、高ぶった感情や不安を鎮め、心を落ち着けるのに役立ちます。これにより、「いま」を冷静に見つめる基盤ができます。
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実存主義の視点:「いま」を起点に未来を創造する 心が落ち着き、「いま」の現実を受け入れられるようになったら、次はその「いま」をどう生きるか、未来にどう繋げるかを実存主義の視点から考えてみます。過去の経験を単なる後悔としてではなく、学びとして捉え直し、「いま」の選択に活かす。未来への漠然とした不安を、具体的に「いま」できること、自らが責任を持って取り組める課題へと落とし込む。このように、「いま」を単なる受動的な時間としてではなく、能動的に未来を創り出すための出発点として捉え直すのです。
例えば、仕事で大きなミスをしてしまった過去があったとします。禅の視点からは、その時の感情や状況を「いま、起こったこと」として受け入れ、後悔の念にとらわれすぎないようにします。そして、実存主義の視点からは、そのミスから何を学び、次にどう行動するかを「いま」、自らの意志で選択します。過去の失敗は変えられませんが、「いま」の選択によって、その経験を未来への糧とすることができるのです。
また、将来のキャリアに不安を感じている場合。禅の視点からは、不安な気持ちを「いま、自分の中にある感情」として受け入れ、過度に抗いません。その上で、実存主義の視点から、未来のキャリアをどうしたいのか、「いま」、どのようなスキルを身につけるか、誰に相談するかなど、具体的な行動を自ら選択し、その一歩を踏み出します。未来は不確実でも、「いま」の行動は自分の意志で選び取れるのです。
まとめ:あなたの「いま」を生きるために
過去への後悔や未来への不安は、誰しもが抱えうる感情です。しかし、それに囚われすぎることなく、「いま、ここ」を大切に生きることは可能です。
禅は、心を鎮め、目の前の現実に意識を集中することで、時間という概念から一時的に解放される道を示してくれます。実存主義は、「いま」が自由な選択と自己創造の瞬間であり、未来への責任ある行動の起点であることを教えてくれます。
この二つの思想から、私たちは「いま」を生きるためのヒントを得られます。まずは禅の教えに倣い、日々の生活の中で意識的に「いま」に立ち止まってみる。そして、実存主義の視点から、「いま」の自分が何を選択し、未来にどう繋げていきたいのかを問いかけてみる。
あなたの「いま」は、過去の結果でも、未来への準備期間でもありません。それは、あなたが自らの人生を紡ぎ出す、唯一無二の確かな瞬間なのです。禅と実存主義の智慧を借りて、あなた自身の「いま」を力強く生きていくための一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。