「ありのままの自分」を受け入れる 禅と実存主義の視点
現代社会で「ありのままの自分」でいることの難しさ
日々の仕事に追われ、情報過多な現代社会に生きる私たちは、「ありのままの自分」でいることの難しさを感じることがあります。SNSを見れば他者の輝かしい側面が目に飛び込み、職場で成果を求められる中で、「もっとこうあるべきだ」「自分はまだまだ足りない」と感じてしまうことは少なくありません。完璧であろうとしたり、他者と比較して自分を卑下したりすることで、私たちは心の満たされなさや漠然とした不安を抱えてしまいがちです。
では、こうした状況の中で、私たちはどうすれば心の平穏を保ち、「ありのままの自分」を受け入れることができるのでしょうか。難解に思える哲学ですが、東洋の禅と西洋の実存主義という二つの思想は、この問いに対して深い示唆を与えてくれます。
禅が示す「あるがまま」の世界
禅の教えは、「あるがまま」の現実を受け入れることに重きを置きます。これは、過去の後悔や未来への不安、そして自分自身への評価や判断といった思考の囚われから解放され、「いま、ここ」で起こっていること、感じていることをそのままに観るという姿勢です。
有名な禅の修行法に「只管打坐(しかんたざ)」があります。これは、ただひたすらに坐禅をするという意味ですが、その本質は、思考や感情、感覚といったあらゆる心の動きを、良いも悪いも判断せずに「あるがまま」に観察し、受け流すことにあります。私たちはつい、自分自身の欠点や失敗を否定的に評価し、理想とする自分とのギャップに苦しみます。しかし、禅はこうした自己判断や自己否定を一旦脇に置き、「いま」の自分をただ「あるがまま」に見つめることを促します。
「あるがまま」を受け入れることは、決して何もせず怠惰になることではありません。それは、瞬間瞬間の自己の姿を冷静に、そしてありのままに観察し、その事実を受け止めることから始まります。この観察の積み重ねが、自己への過剰な期待や批判を手放し、心の静けさへと繋がっていくのです。
実存主義が強調する「自己存在」の確立
一方、実存主義は、人間が固定された本質を持つのではなく、自らが主体的な選択と行動を通じて自己を形成していく存在であると説きます。私たちは、社会的な役割や他者からの評価、過去の経験といった外部の要素によって定義されるのではなく、「現存在(ダーザイン)」として、自由であるがゆえに不安を伴う生を引き受け、自らの可能性を「投企(プロジェクト)」していく存在です。
実存主義における「ありのまま」の自分を受け入れるとは、他者の期待に応えようとしたり、社会的な常識に縛られたりすることなく、自らの内面にある問いや価値観に向き合い、主体的に自己を確立していくプロセスを意味します。これは、自己の弱さや矛盾も含めて受け入れ、不安(実存的不安)を感じながらも、自らの選択に責任を持ち、自立した生を歩むことなのです。
サルトルは「実存は本質に先立つ」と述べました。これは、人間はあらかじめ定まった「〜である」という本質を持って生まれるのではなく、まず存在し、その後の自由な選択と行動によって自己の本質を創り上げていく、という意味です。つまり、「ありのままの自分」とは、他者や社会が決めるものではなく、自分自身が向き合い、選択し、創り出していくものなのです。
東西思想の統合:「ありのまま」を受け入れる実践へ
禅の「あるがまま」と実存主義の「自己存在」は、一見異なって見えますが、「社会的な枠組みや他者の評価からの解放」「自己の内面への深い向き合い」といった共通点を持っています。禅は「あるがまま」を観察し受け入れる静的な側面、実存主義は不安を引き受け主体的に自己を形成していく動的な側面を強調すると言えるかもしれません。
この二つの視点を統合することで、私たちは現代社会で「ありのままの自分」を受け入れるための、より実践的なヒントを得ることができます。
-
禅的な「観察」の視点を持つ: 完璧主義や他者比較に囚われている自分に気づいたら、それを否定するのではなく、ただ「あ、今自分は完璧であろうとしているな」「他人と比べて落ち込んでいるな」と、客観的に観察してみてください。思考や感情をジャッジせず、ただ「あるがまま」に意識を向ける練習です。呼吸に意識を向けたり、日常の何気ない動作(食事、歩行など)に集中したりすることも有効な方法です。これにより、思考のループから抜け出し、少し距離を置いて自分自身を見つめることができるようになります。
-
実存主義的な「選択」と「責任」を意識する: 他者の評価や社会の期待に流されていると感じたら、一度立ち止まり、「自分は何を大切にしたいのか」「自分はどうありたいのか」と自らに問いかけてみましょう。不安を感じるかもしれませんが、それはあなたが自由な主体として立っている証拠です。小さなことからでも、自分自身の価値観に基づいた選択を行い、その結果に対する責任を引き受ける練習をすることで、揺るぎない自己感覚を育むことができます。
「ありのままの自分」を受け入れる旅は、一度にゴールに到達できるものではありません。それは、日々の生活の中で、自分自身と丁寧に向き合い、完璧ではない自分、弱さを持つ自分、不安を感じる自分を、少しずつ受け入れていく継続的なプロセスです。
禅の静かな観察と、実存主義の主体的な自己確立という東西の哲学は、この困難な旅路において、私たちに自己受容への道筋を示し、心の平穏と充実感への扉を開く鍵となるでしょう。まずは、今ここにいる自分自身を、良いも悪いも判断せずに見つめることから始めてみてはいかがでしょうか。